厚生労働省は11日、樺太(からふと)等残留邦人11名が13日から19日までの7日間、集団で一時帰国すると発表した。介助にあたる介護人11名を加えた計22名で、13日午後2時にCZ647便で羽田空港に到着する。一部は14日午前11時10分にNH57便で新千歳空港へ入る。出国は19日午後3時45分の羽田発CZ648便を予定している。
滞在中は墓参と道内見学
滞在中の日程について、厚労省は「肉親や知人との再会、墓参の他に道内見学等を行います」としている。事業の委託先は特定非営利活動法人日本サハリン協会で、同省は取材の申し込みを協会へ寄せるよう求めた。参加人数と期間は、帰国者の事情によって変動する場合があるという。
この集団一時帰国事業は平成7(1995)年から毎年実施されている。中国残留邦人を対象とする同種の事業は1年早い平成6(1994)年に始まっており、今回も中国残留邦人2名と介護人2名の計4名が、10日から21日までの12日間の日程で帰国中だ。委託先は公益財団法人中国残留孤児援護基金で、こちらは東京近郊の見学が組まれている。
「樺太等残留邦人」とは誰か
厚労省は「中国残留邦人」と「樺太等残留邦人」を合わせて「中国残留邦人等」と呼んでいる。このうち樺太等残留邦人は、日ソ開戦によって樺太(千島を含む)から引き揚げられなくなった人々を指す。
同省の説明によると、開戦時の樺太には一般邦人が約38万人、季節労働者が約1万人いた。樺太庁長官は軍の要請を受け、高齢者や女性・子どもを北海道へ緊急疎開させる方針を決めたが、昭和20(1945)年8月23日にソ連軍が疎開を停止させた。その後、昭和34(1959)年までに集団引揚げが行われたものの、さまざまな事情で樺太に残るほかなかった人たち(ソ連本土へ移送された人を含む)が、制度上の「樺太等残留邦人」にあたる。
法律上は、昭和20年8月9日以後の混乱の中で帰国できず、同年9月2日以前から引き続き中国または樺太に住んでいて、その時点で日本に本籍があった人が対象となる。この条件に当てはまる人を両親として現地で生まれ、そのまま住み続けた人も含まれる。
永住帰国は112人、一時帰国は延べ2407人
樺太等残留邦人の帰国は、中国残留邦人に比べて規模がはるかに小さい。厚労省の集計では、令和8(2026)年7月31日現在の永住帰国者は112人(家族を含めて280人)で、内訳は樺太が88人、旧ソ連本土が24人。一時帰国は延べ2407人(家族等を含めて3579人)で、うち樺太が2105人だ。
一方、中国残留邦人の永住帰国者は6731人(家族を含めて2万918人)、一時帰国は延べ6071人(同1万211人)に上る。身元調査の対象となった残留日本人孤児は2818人で、このうち身元が判明したのは1284人と、半数に届いていない。
一時帰国は、永住帰国は望まないが墓参や親族訪問を希望する人が毎年利用できる制度で、旅費の実費相当が国から支給される。日本側に受け入れてくれる親族がいない人や身元が判明していない人については、民間団体が受け入れる形で毎年の一時帰国ができる仕組みになっている。
高齢化を見据えた支援も継続
永住帰国した人への支援も続く。60歳以上で一定の要件を満たす中国残留邦人等には満額の老齢基礎年金等が支給され、世帯の収入が基準に満たない場合は「支援給付」が上乗せされる。平成26(2014)年10月からは、支援給付を受けていた人が亡くなった際、永住帰国前から連れ添っていた配偶者に「配偶者支援金」が支給される。
言葉や生活習慣の壁も残る。厚労省は平成29(2017)年度から、介護サービスを利用する際に中国語などで語りかけるボランティアを派遣する事業を実施している。支援給付の窓口には、中国語かロシア語ができる支援・相談員を置いている。
戦後81年が経ち、対象者の高齢化は進む。今回の一時帰国も、参加者11名に対し同数の介護人が同行する編成となった。一行は19日午後3時45分の便で、羽田空港から日本を離れる。
