中道改革連合の小川淳也代表は9月11日、国会内で記者会見し、衆院での統一会派「中道」について「願わくば来週中にも一定の結論を得て、公明党に復党する公明出身の28人と固く結束をして衆院での統一会派の結成、届け出までいきたい」と述べた。同党は9日、役員会や常任幹事会などを経て、党という一つの器を離れ、立憲民主党出身と公明党出身がそれぞれの党に分かれたうえで会派を組む「新たな形態」へ移ることを決めていた。会見から13日後の9月24日、統一会派「中道」は47人で発足した。その間の16日には小川氏が代表を辞任し、党に残る1人として渡辺創氏が後任の代表に就いている。
「1党建てより2党建て」
9日の決定によると、次期臨時国会で衆院に統一会派「中道」を結成する。所属する衆院議員は、新党への結集や公明党への再結集を通じて中道政治を前進させると明記した。11日の小川代表の説明では、立憲民主党出身の21人が新党を設立し、公明党出身の28人は公明党へ復党する。中道改革連合そのものは国会議員1人を残して当面存続させ、清算が終わった段階で組織を整理する。
小川代表は9日、「掲げた中道改革勢力の拡大という目標、旗そのものを下ろすことはない」としたうえで、「1党建てより2党建て、一輪車より二輪車という形で当初見定めた頂を目指す」と述べた。一つの政党に集約する形をあきらめ、複数の政党が会派で結束する形に切り替える、という意味である。
会派は、国会内で議院運営や委員会の割り当て、質問時間の配分などを決める際の単位になる。政党が別々でも会派を一つにまとめれば、衆院での交渉力や委員会での発言機会は人数に応じて確保できる。統一会派を急ぐ背景には、次期臨時国会の開会までに枠組みを固めたいという事情があった。立憲民主党の田名部匡代幹事長も9日の会見で、臨時国会は10月上旬にも開会する見通しだとして党内の態勢づくりに触れている。
小川代表は11日、両党に分かれる形をとった理由について「今回、中道改革連合から離脱する双方が同時に離党し新たな構成となった上で統一会派を組むという、両者の対称性を維持することに腐心した。両出身母体別に非対称であってはならないという政治的なメッセージを重視した結果だ」と述べている。どちらか一方が先に党を出る形にすると、残った側が主で出た側が従という関係に見える。同時に離党させることで、対等な合流という当初の建前を崩さないようにした、という説明である。
16日の議員総会、代表辞任と48人の離党を了承
11日の会見から5日後の9月16日、中道改革連合は国会内で議員総会を開いた。党の発表によると、小川代表は冒頭のあいさつで、党の再編に伴い所属議員49人のうち48人が離党手続きに入る方針を明らかにし、残る1人に渡辺創組織委員長を充てるとした。新党名として「民主改革の会」の案を示し、総会で了承された。小川氏は代表を辞任し、後任には渡辺氏が全会一致で選ばれた。
渡辺新代表は同じ日の就任会見で、旧政党ごとに党を分ける方式ではなく、中道改革連合を自分1人が引き継ぎ、組織・会計・法務面の整理を終えた後に新党へ合流する方針を選んだと説明した。最も重い課題として挙げたのは全国約190の総支部の整理で、支部の閉鎖手続きに加え、政治資金収支報告書などの作成や法定監査への対応が要る。顧問弁護士や会計士の助言を得ながら進め、常任幹事会に非現職の総支部長経験者や党職員代表を加えて重要な意思決定をする仕組みを整えるとした。
政党交付金を管理する立場が1人に集まる形については、小川氏が総会で「有権者に分かりにくい」との批判が出ていることを認め、総会後の取材では「外形的な批判をより重く受け止めるべきだった」と述べた。職責や権限を定めた内部規定を整え、合議制で統治を確保するとしている。民主改革の会という名前には、民主党を源流とする理念に加え、「民主的で公平公正な社会」の実現や中道路線を重んじる思いを込めたと説明した。代表交代の詳細は、中道改革連合、新代表に渡辺創氏で伝えている。
9月24日、会派「中道」は47人で発足した
公明党が25日に公表したところによると、統一会派「中道」は9月24日に発足した。新たに会派を届け出たのではなく、既存の衆院会派「中道改革連合・無所属」が「中道」への名称変更を届け出る形をとった。
所属議員は47人。内訳は、公明党出身が石井啓一副議長を除く27人、立憲民主党出身の新党「民主改革の会」が18人、中道が1人で、これに民主改革の会には入党していない大島敦氏が加わった。16日の議員総会で衆院議員49人のうち中道改革連合に残るのは渡辺代表1人と決まっているため、会派の「中道1人」は渡辺代表にあたる。衆議院が公表した9月28日現在の会派別所属議員数でも「中道」は47人(うち女性8人)で、自由民主党・無所属の会の315人に次ぐ規模になっている。結成当日の議員総会の様子や、公明党が衆院議員28人の復党を承認して衆参49人の勢力で出発したことは、衆院に統一会派「中道」結成、47人で自民に次ぐ第2会派に 公明出身27人と民主改革18人ら 公明党は28人の復党を承認し衆参49人で伝えている。
人数を足し合わせると、11日に小川代表が示した立憲民主党出身21人と公明党出身28人の計49人のうち、会派に入ったのは47人で、会派に加わっていない石井副議長を除くと1人が会派の外にいる計算になる。その1人が誰で、どういう扱いになったのかは、各党の公表資料では確認できていない。
新党の名称は、当初の会見では明かされていなかった。9月17日に総務省が公表した政治資金規正法に基づく届出で「民主改革の会」と判明した経緯は、立憲民主党出身議員の新党「民主改革の会」、17日に「政党」として届出 代表に小川淳也氏、会計責任者に階猛氏 同じ日に中道改革連合の代表交代も告示で伝えている。届け出に先立つ議員総会で、民主改革の会は国会対策委員長に後藤祐一氏、政務調査会長に落合貴之氏を充てる人事を了承した。
3党合流は8月末に頓挫した
経緯をさかのぼると、8月31日に中道改革連合の小川代表と階猛幹事長、立憲民主党の水岡俊一代表、公明党の竹谷とし子代表による3党党首会談が開かれた。立憲民主党からの回答を受け、公明党の竹谷代表が公明党のみが先行して合流することは控えたいとの考えを示し、3党による合流は実現しなかった。
小川代表は会談後、「大変申し訳なく、残念なことだ」と支援者に謝罪したうえで、「中道政治を守る決意が揺らぐものではない」と強調した。「一党を目指して合流協議を呼びかけたこと自体に後悔はない」とも述べている。
9月2日に党が出した声明では、「三党が一つになる形での合流には至りませんでした」としたうえで、「一つの党という形だけにとらわれることなく、より多くの方々が中道改革の理念と志のもとに力を合わせることのできる、新たな形態へと歩みを進める」と表明していた。
立憲側は「大きなかたまり」へ連携を模索
立憲民主党の田名部匡代幹事長は9日の記者会見で、中道改革連合の決定について「今回の決断を真摯に受け止めたい」と述べた。そのうえで「どういう形で大きなかたまりになれるのかを、丁寧に話し合いをしながら進めていきたい」と語り、衆院で活動してきた旧来の仲間との連携に意欲を示した。「立憲独自でやっていくなんて思いは全く持っていません」とも述べている。
公明党に対しては、前執行部が合流を約束していたことに触れ、「その約束を守れなかったことについてはおわびを申し上げたい」と陳謝した。3党の関係については「この3党だけで協力すればいいということではないが、3党でこれまでやってきたことを大事にしながら国民のための議論をしていく」との考えを示した。その後、立憲民主党は10月15日に政調審議会を党単独で開く方針に切り替えた。経緯は立憲、政調審議会を単独開催に 中道・公明との3党合同から転換、徳永政調会長「他の野党とも協力」で伝えている。
政党交付金の使途は年末年始に報告する方向
小川代表は11日の会見で、結党から短期間で党の形を変えることについて「一連の経過並びに結果責任が重大であることは誰よりも自覚している」と述べた。当面は新党の設立作業に専念し、自らの責任の取り方については熟慮するとした。
政党交付金を返還すべきだとの批判には「謙虚に受け止めたい」と応じつつ、総選挙にかかった費用の精算責任があることから、年末もしくは年始に使途を報告する方向で検討していると説明した。この使途報告の問題は、中道改革連合は政党交付金11億円の請求を取り下げよ 業者への支払いは49人の頭割りでで詳しく取り上げている。
中道改革連合は今年1月16日、立憲民主党の野田佳彦代表(当時)と公明党の斉藤鉄夫代表(当時)が国会内で共同記者会見を開き、新党名と略称「中道」を発表して発足した。野田氏は「右にも左にも傾かずに、熟議を通して解を見出していく」、斉藤氏は「分断と対立が続く世界の中にあって、国際協調主義」と、それぞれ党の立ち位置を説明していた。シンボルカラーには両党のイメージカラーの中間にあたる青が採用され、対等な融合を象徴するとされていた。総選挙を戦った新党は、8か月で一つの党という形をたたんだ。
