防衛省は10月17日、東京・市ヶ谷の同省慰霊碑地区で令和8年度自衛隊殉職隊員追悼式を開いた。今回新たに顕彰されたのは16柱で、警察予備隊の創設以降に顕彰された殉職隊員の累計は2158柱になった。高市首相が参列し、黙とうをささげて追悼の辞を述べた後、献花した。

追悼式は、任務の遂行中に職に殉じた隊員を追悼するため、防衛相の主催で昭和32年(1957年)から実施されている。首相官邸が公表した追悼の辞で、高市首相は「その尊い犠牲を無にすることなく、御遺志を受け継ぎ、国民の皆様の命と平和な暮らしを守り抜くために全力を尽くすことを、自衛隊の最高指揮官として、ここに固くお誓いいたします」と述べた。

新たな顕彰者は16柱 陸自9、海自5、空自1、機関1

防衛省が式の前日の10月16日に出したお知らせによると、今年度の顕彰者16柱の内訳は、陸上自衛隊が9柱、海上自衛隊が5柱、航空自衛隊が1柱、「機関」が1柱だった。

対象は、2025年9月1日から2026年8月31日までの1年間に「公務災害認定された殉職隊員」である。つまり16柱は、この1年間に亡くなった隊員の数ではない。職務中の死亡が公務による災害と認められた時期で区切った数であり、亡くなった時期がこの期間より前の隊員も含まれうる。お知らせは、顕彰された隊員がどのような任務や事故で亡くなったかには触れていない。

警察予備隊以降、今年度の追悼式までに顕彰された累計は2158柱で、内訳は陸自1160柱、海自518柱、空自446柱、機関34柱だった。

防衛省の慰霊碑の案内ページによると、令和7年度までの累計は2142柱(陸自1151柱、海自513柱、空自445柱、機関33柱)だった。これに今年度の16柱を足すと2158柱になり、自衛隊別に見ても、陸自が9柱、海自が5柱、空自が1柱、機関が1柱ずつ増えた計算で、お知らせの内訳と一致する。

前年度は30柱、前々年度は32柱

首相官邸が毎年公表している追悼の辞をさかのぼると、新たに顕彰された人数は、令和6年度(2024年10月26日の式)が32柱、令和7年度(2025年10月11日の式)が30柱だった。今年度の16柱は、この2年と比べるとほぼ半分になる。

追悼式で新たに顕彰された殉職隊員(柱)

010203040322024年度302025年度162026年度
出典: 首相官邸「総理の一日」(令和6〜8年度の自衛隊殉職隊員追悼式)、防衛省お知らせ(令和8年10月16日)
数値で見る(単位: 柱)
項目柱
2024年度32
2025年度30
2026年度16

累計は、令和6年度の式の時点で2112柱、令和7年度で2142柱、今年度で2158柱と推移した。防衛省の案内ページによると、令和7年度の30柱の内訳は陸自13柱、海自10柱、空自6柱、機関1柱だった。今年度は陸自が4柱、海自が5柱、空自が5柱、それぞれ前年度より少ない。

ただし、前述のとおり年度ごとの人数は公務災害の認定時期で区切った数で、各年に起きた事故の件数や死亡者数をそのまま表すものではない。減った理由について、防衛省のお知らせは何も説明していない。

慰霊碑の案内ページは、創設以来「陸に海に空に、訓練演習、災害派遣等に当たり」任務の完遂に努めた多くの隊員が職務に殉じ、「その数は2,000を超える」と記している。

追悼の辞で首相が述べたこと

官邸によると、高市首相は追悼の辞の冒頭で「新たに祀(まつ)られた御霊(みたま)は、十六柱です」と述べた。そのうえで「戦後最も厳しく複雑な安全保障環境にある中」、自衛隊員が「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛する」という任務を果たすため、昼夜を問わず職務に励んでいると語った。

殉職した隊員については「最後の最後まで、自衛隊員として、強い覚悟を持って使命を全うされたその姿は、我が国の誇りであります」と述べ、「かくも有為な隊員を失ったことは、自衛隊にとって、そして我が国にとって、誠に大きな痛手です」と続けた。遺族に対しては「本当に胸が締めつけられる思いでございます」と語った。

追悼の辞の骨格は、前年までとおおむね共通している。冒頭で新たに祀られた柱数を述べ、安全保障環境の厳しさと隊員の任務に触れ、累計の柱数を挙げて敬意と感謝を表し、最後に遺族の平安を祈る、という流れだ。

一方で、前年の石破首相(当時)の追悼の辞には、服務の宣誓を引いたうえで「隊員にふさわしい名誉と処遇を実現することは、国家としての責務」とし、隊員の処遇改善に取り組んできたと述べるくだりがあった。「不幸な出来事を繰り返さぬよう最善の努力を尽くします」という一文もあった。官邸が公表した今年の追悼の辞には、処遇や再発防止に直接触れた部分は見当たらない。

自衛官の人手不足の現状は「自衛官の充足率88.1% 定員24万7154人に対し現員21万7701人 最前線を担う「士」は57.8%にとどまる 令和8年版防衛白書」で詳しく伝えている。

昭和32年から続く追悼式と市ヶ谷の慰霊碑

防衛省によると、追悼式は昭和32年から自衛隊記念日記念行事の一環として、防衛相の主催で開かれてきた。今年の式は10月17日(土)の午前10時から10時55分まで行われた。

参列者は約270人だった。遺族は、今年度に顕彰された隊員の遺族に加え、殉職から10年目と20年目にあたる隊員の遺族が招かれた。来賓は首相のほか、歴代の防衛省政務三役、歴代の防衛事務次官、歴代の各幕僚長、歴代の防衛審議官ら。防衛省側からは防衛相、副大臣、政務官、事務次官、各幕僚長、防衛審議官らが参列した。

会場の慰霊碑地区(メモリアルゾーン)には、自衛隊殉職者慰霊碑がある。防衛省の案内によると、慰霊碑は昭和37年(1962年)に市ヶ谷駐屯地内に建てられ、風化による傷みが目立ったことから遺族の要望もあって建て替えられ、昭和55年(1980年)10月15日に完成した。その後、防衛庁(当時)の庁舎が市ヶ谷に移るのに伴い、慰霊碑地区が整備されて現在の場所に移された。

案内によると、碑銘は鈴木首相(当時)の揮毫(きごう)による。中央の石は黒御影石で、左右の石は霊峰富士をかたどっている。慰霊碑には歴代の防衛相ら防衛省幹部が着任・離任のたびに献花しており、外国の要人も献花に訪れるという。