首相官邸は10月26日、元首相の福田康夫氏が逝去したことを受けて、高市早苗首相の談話をホームページに掲載した。談話は「本日、元内閣総理大臣福田康夫氏が逝去されたとの報に接しました」と書き出し、首相在任中の業績として消費者行政の充実と北海道洞爺湖サミットの議長を務めたことを挙げて、「心から哀悼の誠を捧げます」と結んだ。福田氏は2007年9月から2008年9月まで365日間首相を務め、それ以前は森、小泉両内閣で約3年半、内閣官房長官を務めた。

談話は「突然の訃報」 死去の日時や死因は発表に無い

談話は令和8年10月26日付で、本文は4段落からなる。福田氏について「内閣総理大臣として国政を担われるとともに、内閣官房長官を長くお務めになるなど、その豊かな経験と卓越した見識をもって、多くの困難に力を尽くして取り組んでこられました」と述べた。首相在任中については「消費者行政の充実など国民生活の向上に御尽力される」とともに、「北海道洞爺湖サミットの議長を務められるなど、国際社会の諸課題への対応に当たり、我が国の立場を発信し、その存在感の向上に御尽力されました」とした。そのうえで「突然の訃報に接し、悲しみの念を禁じ得ません」と記した。

談話には、死去した日時、場所、死因、年齢は書かれていない。翌27日午前の内閣官房長官の記者会見で、官邸が掲載した冒頭発言は閣議の概要についてで、福田氏への言及は無かった。葬儀の日程や、政府として葬儀をどう扱うかについても、27日午後3時までに本紙が確認した範囲では官邸の発表は無い。本紙は遺族や事務所などによる公式の発表を確認できていない。

官邸の「歴代内閣」のページによると、福田氏は昭和11年(1936年)7月16日生まれで、群馬県出身。首相に就任したときの年齢は71歳だった。官邸は福田氏の内閣を「福田(康)内閣」と表記し、1976年12月24日から1978年12月7日まで在職した第67代の福田赳夫氏の「福田(赳)内閣」と区別している。

官房長官を3年半、首相在職は365日

談話が「長くお務めになる」と書いた官房長官の在任は、官邸の閣僚名簿でたどれる。福田氏が官房長官に就いたのは、第2次森内閣の途中の2000年(平成12年)10月27日で、このときは沖縄開発庁長官も兼ねた。同年12月5日の内閣改造後と、省庁再編後の名簿でも官房長官に名がある。

2001年4月26日に第1次小泉内閣が発足すると、福田氏は引き続き官房長官に就いた。2002年9月30日と2003年9月22日の2度の改造を経ても交代せず、2003年11月19日に発足した第2次小泉内閣でも官房長官と内閣府特命担当大臣(男女共同参画)を兼ねた。名簿によると、後任の細田博之氏の就任は2004年(平成16年)5月7日。福田氏の在任は約3年半で、2人の首相の下で官房長官を務めたことになる。

年月日 出来事
1936年7月16日 群馬県に生まれる
2000年10月27日 第2次森内閣の官房長官(沖縄開発庁長官を兼務)
2001年4月26日 第1次小泉内閣の官房長官
2003年11月19日 第2次小泉内閣の官房長官(男女共同参画担当の特命大臣を兼務)
2004年5月7日 後任の細田博之氏が官房長官に就任
2007年9月26日 第91代首相に就任(71歳)
2008年1月18日 施政方針演説で消費者行政の新組織の発足を表明
2008年7月7〜9日 北海道洞爺湖サミットで議長
2008年9月24日 首相の在職を終える(在職365日)
福田康夫氏の主な経歴出典: 首相官邸「歴代内閣」、国会会議録検索システム、外務省「北海道洞爺湖サミットの概要」

福田内閣は2007年(平成19年)9月26日に成立した。官邸のページでは、在職期間は2008年(平成20年)9月24日まで、在職日数は365日となっている。2008年8月2日には内閣を改造した。

発足時の閣僚名簿を見ると、官房長官は町村信孝氏、外相は高村正彦氏、財務相は額賀福志郎氏が務めた。防衛相は石破茂氏で、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、国民生活、規制改革)と消費者行政推進担当などは岸田文雄氏が兼ねた。石破氏は後に第102代、岸田氏は第100代の首相となった。8月の改造では、消費者行政推進担当は野田聖子氏に替わり、財務相には伊吹文明氏、経済財政政策担当には与謝野馨氏が就いた。

施政方針で「強い権限を持つ新組織」を表明

談話が挙げた消費者行政について、福田氏は2008年1月18日、第169回国会の衆議院本会議で行った施政方針演説で方針を示した。国会会議録によると、福田氏は「ことしを生活者や消費者が主役となる社会へ向けたスタートの年と位置づけ、あらゆる制度を見直していきます」と述べた。そのうえで「食品表示の偽装問題への対応など、各省庁縦割りになっている消費者行政を統一的、一元的に推進するための、強い権限を持つ新組織を発足させます。あわせて消費者行政担当大臣を常設します」と表明した。新組織は「国民の意見や苦情の窓口となり、政策に直結させ、消費者を主役とする政府のかじ取り役になるもの」と説明している。

消費者庁のホームページは、同庁の創設を提言した場として「消費者行政推進会議」と、2008年6月に閣議決定された「消費者行政推進基本計画」を、発足の経緯として掲げている。消費者庁を置く根拠となった消費者庁及び消費者委員会設置法(平成21年法律第48号)が公布されたのは、福田氏の退任後の2009年6月5日だった。

洞爺湖サミットで議長 2050年半減目標で合意

同じ施政方針演説で、福田氏は「北海道洞爺湖サミットは、我が国の環境問題への取り組みを世界に発信する大きなチャンスです」と述べ、2050年までに温室効果ガスの排出量を半減させる長期目標の実現を目指すとして、議長国として新たな枠組みづくりを主導する考えを示していた。

外務省の「北海道洞爺湖サミットの概要」によると、34回目のサミット(主要国首脳会議)は2008年7月7日から9日まで、北海道洞爺湖で福田氏の議長の下で開かれた。日本がサミットを主催するのは、2000年の九州・沖縄サミット以来8年ぶりだった。7日はアフリカ諸国などとの拡大会合、8日はG8の会合、9日は中国、インドなどを加えた拡大会合と主要経済国首脳会合が開かれ、9日午後の福田氏の議長国記者会見で閉幕した。

8日の環境・気候変動の議論では、G8が「2050年までに世界全体の排出量の少なくとも50%削減を達成する目標」を、国連気候変動枠組み条約(UNFCCC)のすべての締約国と共有し、採択することを求めることで合意した。全ての先進国の間で排出量の絶対的な削減を達成するため、野心的な中期の国別総量目標を実施することでも一致した。