漫画家のわたなべまさこさんが10月3日に亡くなった。公益社団法人日本漫画家協会が10月13日、名誉会員の訃報として公表した。協会は「享年97歳」としている。死因は公表されていない。

葬儀は近親者のみ、後日お別れの会

協会の発表によると、葬儀は故人の遺志により近親者のみで執り行われた。供花・供物・弔問は辞退するが、香典と弔電は受けるという。後日「お別れの会」を執り行う予定で、日時と場所はまだ示されていない。

わたなべさんは協会の名誉会員だった。協会は訃報を「おくやみ」の欄に載せ、「謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と結んでいる。公表は逝去から10日後だった。

協会は1972年から日本漫画家協会賞を設け、優れた作品を顕彰している。わたなべさんはこの賞の受賞者でもある(後述)。

1952年『小公子』でデビュー、出版社を越えて連載

経歴は、文化庁メディア芸術祭のサイトに講評者として載ったプロフィールで確かめられる。それによると、わたなべさんは東京都生まれ。1952年に『小公子』でデビューした。その後は集英社、小学館、講談社、双葉社、秋田書店、創美社、宙出版、ぶんか社などで連載や短編を描いた。

1971年には『ガラスの城』で第16回小学館漫画賞を受けた。プロフィールには、2006年に旭日小綬章を受けたことも記されている。

プロフィールが書かれた時点では、双葉社の雑誌「jour」で中国の長編小説を原作にした『金瓶梅』を連載していた。創造学園大学芸術学科の教授も務めていた。デビューの1952年から数えると、描き続けた期間は半世紀を超える。

「全作品」に協会賞の文部大臣賞

日本漫画家協会賞は1972年に創設された。協会の説明では、プロ・アマ・国籍・年齢・性別を問わず、あらゆるジャンルの漫画作品を対象にしている。大賞・優秀賞・特別賞の部門に加え、1990年には文部省(現・文部科学省)の要請で、漫画界で初めての文部大臣賞(現・文部科学大臣賞)が設けられた。

わたなべさんは第31回(2002年度)に、「全作品」を対象として文部大臣賞を受けた。協会の歴代受賞者一覧に、そのとおり記載がある。同じ回の大賞は、さいとう・たかをさんの「ゴルゴ13」と、鈴木義司さんの「サンワリ君ほか一連の作品」だった。

協会の一覧を見ると、この時期の文部大臣賞・文部科学大臣賞は、長く描いてきた漫画家の仕事全体に贈られている。前後の回の受賞は次のとおり。

回(年度) 賞の名称(一覧の表記) 受賞者 対象
第30回(2001年度) 文部大臣賞 ちばてつや 全作品
第31回(2002年度) 文部大臣賞 わたなべまさこ 全作品
第32回(2003年度) 文部科学大臣賞 上田トシコ 全作品
第33回(2004年度) 文部科学大臣賞 横山光輝 全作品
第34回(2005年度) 文部科学大臣賞 里中満智子 全作品及び文化活動
日本漫画家協会賞 文部大臣賞・文部科学大臣賞の受賞(第30〜34回)

出典: 日本漫画家協会「日本漫画家協会賞(歴代受賞者)」

協会の一覧は、わたなべさんの回を「文部大臣賞」と書いている。文部省が文部科学省に改まった2001年1月より後の回だが、記事では一覧の表記に合わせた。文化庁のプロフィールでは「文部科学大臣賞」と書かれている。

メディア芸術祭ではストーリーマンガを講評

わたなべさんは、文化庁メディア芸術祭の第10回マンガ部門で、ストーリーマンガの講評を書いた。講評では、第10回の節目にふさわしいベテランの大作が満場一致で選ばれたと振り返り、ストーリーマンガについて「戦後開発された、日本独特の文化のひとつとされている」と記した。

続けて「手塚マンガという太い幹から幾重にも枝を伸ばし、たわわにマンガ家という実をつけた」と書き、その広がりは「今後も空に向かって伸び続けるに違いない」と結んでいる。海外からの応募が少なかったことには「残念であった」とし、各国の作品が日本の漫画と競うことを望んだ。

1952年にデビューした書き手として、戦後の漫画の歩みとともに描き続けてきた立場から、次の世代と海外の作り手に期待を寄せた文章だった。