日本芸術院会員で、2014年から6年間、同院の院長を務めた作家の黒井千次(くろい・せんじ、本名・長部舜二郎=おさべ・しゅんじろう)さんが10月12日に亡くなった。日本芸術院がホームページのお知らせ「黒井千次会員の逝去について」で公表した。年齢、死因、葬儀の扱いは、お知らせには書かれていない。

芸術院が「会員の逝去」として公表

芸術院のお知らせは「令和8年10月12日、黒井千次会員(第二部第七分科所属)が逝去されました」と伝え、「謹んでご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。芸術院の会員は美術・文芸・音楽などの部と分科に分かれて所属し、第二部は文芸、第七分科は小説・戯曲を受け持つ。

芸術院の会員名簿では、黒井さんは現会員一覧から外れ、物故会員一覧に移った。個人ページには、筆名の黒井千次とともに本名の長部舜二郎が載り、没年月日として令和8年10月12日が記されている。現会員一覧の小説・戯曲の分科には、五木寛之さん、筒井康隆さん、小川洋子さん、川上弘美さんら12人が並ぶ。

10月には17日に、『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受けた作家の村上龍さんも亡くなっている(作家の村上龍さん死去、74歳 『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞)。

芸術院の公表資料と、後述する文部科学省の文化功労者の発表には、黒井さんの生年や年齢、代表作の題名は載っていない。本紙はこの記事で、これらの一次資料で確かめられた経歴に限って記した。

2000年に芸術院賞、同じ年に会員へ

芸術院の歴代授賞者一覧によると、黒井さんは平成11年度(第56回)の日本芸術院賞を受けた。部門は第二部の小説で、授賞理由は「長年にわたる小説家としての業績に対し」とされている。授賞の日付は2000年6月19日だった。

同じ年の12月15日には、芸術院の会員に任命された。個人ページの発令年月日による。在籍は2026年10月に亡くなるまで、約26年に及んだ。

日本芸術院は、政令の日本芸術院令で「芸術上の功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関」と位置づけられている。院長1人と会員120人以内で組織し、会員は部会が推薦し、総会の承認を経た候補者を、院長の申し出により文部科学大臣が任命する。令は会員を「終身とする」と定めている。芸術院の沿革によれば、前身は明治40年(1907年)に文部省美術展覧会を開くために設けられた美術審査委員会で、大正8年(1919年)に「帝国美術院」として創設された。

院長として6年、芸術院を率いる

芸術院の歴代院長の一覧によると、黒井さんは2014年10月1日から2020年9月30日まで院長を務めた。前任は三浦朱門さん(2004年10月1日〜2014年9月30日)、後任は高階秀爾さん(2020年10月1日〜2023年9月30日)。

院長の一覧は、1919年の帝国美術院の初代院長、森鷗外から始まる。1947年に現在の「日本芸術院」の名称になってからは、高橋誠一郎、有光次郎、犬丸直、三浦朱門の各氏に続き、黒井さんが5人目の院長だった。その後は高階さん、野村萬さんが務め、2026年10月1日からは映画の分野の会員である山田洋次さんが院長に就いている。

日本芸術院令は、院長を「芸術に関し卓越した識見を有する者のうち、会員の選挙により過半数の投票を得た者」の中から文部科学大臣が任命すると定める。現在の令では院長の任期は3年で、非常勤とされ、「院務を総理する」。

勲章と文化功労者

芸術院の個人ページには、勲章・褒章として、2008年の旭日中綬章と、2014年の文化功労者が記されている。

文部科学省が2014年11月3日発令として公表した「平成26年度 文化功労者」の一覧では、黒井さんの職名等は「日本芸術院会員」「日本芸術院長」「公益社団法人日本文藝家協会理事」、専攻は「小説」とされている。氏名の欄には本名の長部舜二郎が載り、「(筆名 黒井 千次)」と添えられている。院長に就いてから約1か月後の選定だった。

芸術院の資料などで確かめられる歩みは、次のとおり。

年月日 出来事
2000年6月19日 日本芸術院賞(平成11年度・第56回、第二部・小説)を受ける
2000年12月15日 日本芸術院会員に任命
2008年 旭日中綬章
2014年10月1日 日本芸術院長に就く
2014年11月3日 文化功労者(同日発令)
2020年9月30日 院長を退く
2026年10月12日 死去
黒井千次さんの主な経歴(日本芸術院と文部科学省の資料で確認できたもの)

出典: 日本芸術院「会員詳細」「歴代授賞者一覧」「歴代院長」、文部科学省「平成26年度 文化功労者」