政府は10月16日、警察官職務執行法(警職法)の一部を改正する法律案を第222回臨時国会に提出した。警察庁が同日、国会提出法案として要綱や案文を公表した。匿名・流動型犯罪グループによる強盗や詐欺の被害を防ぐため、警察官が犯人の使う端末に電気通信回線を介して接続し、狙われている人の氏名や住所、犯行の日時といった情報を複写・取得できる「被害防止電子計算機調査」を新たに設ける。実施にはあらかじめ裁判官の許可を得る必要がある。あわせて、重大な犯罪の被害が迫っている人を守るための措置を、警察官の職務上の義務として条文に明記する。
被害が迫る人を守る「義務」を新設
改正案は、現行の第8条を第10条に繰り下げ、新しい第8条と第9条を加える。
新しい第8条は「被害切迫者に対する被害を防止するための措置」を定める。案文によると、人の生命や身体に危険を及ぼすか、財産に重大な損害を及ぼすおそれのある犯罪を「重大犯罪」と呼び、それが行われたか実行に着手されたことを警察官が認めた場合が対象となる。そのうえで、①犯罪の態様などから合理的に判断して、被害が拡大するか発生すると認められるとき②同じ犯人による同種の重大犯罪で、人の生命、身体、財産に被害が出ると判断すべき具体的な事実があるとき――のいずれかに当たり、被害を受ける人(被害切迫者)が特定されていれば、警察官はその人に対し、直ちに被害を防ぐ方法の指導など必要な措置を「とらなければならない」とした。
警察庁の概要資料は、この規定を「警察官の職務上の義務として明確化する」ものと説明している。警職法はこれまで、職務質問や保護、犯罪の予防・制止、立ち入りといった、警察官が「できる」ことを中心に定めてきた。今回の第8条は「しなければならない」という書き方で、守るべき相手が分かっている場合の行動を義務として書き込んだ点に特徴がある。第9条の新しい調査は、この義務を果たすための情報を集める手段として位置づけられている。
端末に接続し、標的と日時を取り出す
新しい第9条が、端末への遠隔接続を認める「被害防止電子計算機調査」だ。
実施できるのは、警察庁長官が警察庁や都道府県警察の警察官のうちから、必要な知識と能力があると認めて指名した「被害防止電子計算機調査官」に限られる。調査官は、被害者を守る措置にあたる警察官から提供された資料をもとに重大犯罪の発生を認めたうえで、犯人が犯人同士の連絡か被害切迫者への連絡に使ったと認める合理的な理由がある端末に、回線を介して接続する。取得できるのは、端末に記録された情報のうち、被害切迫者の氏名や住所、犯行が行われる日時など、被害を防ぐための措置に必要な事項を示すものに限られる。接続や複写のために必要な処分もできる。
実施には三つの条件がそろう必要がある。犯罪が数人の共謀によるものと認められること、被害の拡大や発生を防ぐために緊急の必要があること、ほかの方法では必要な情報を速やかに集めることが著しく困難であること、の三つだ。
調べる警察官と守る警察官を分けている点も特徴だ。調査官は取得した情報のうち許可の範囲に入るものを、被害防止にあたる警察官に提供する仕組みになっている。
警察庁は概要資料で、匿名・流動型犯罪グループによる強盗や詐欺が全国で多発し、令和7年の特殊詐欺の被害額は過去最悪になったと指摘した。匿名性や秘匿性の高い通信アプリが悪用され、検挙や被害防止が一層難しくなっているとして、続発する被害を防ぐには「犯人の端末にアクセスし、犯行の計画や標的を解明することが不可欠」としている。
裁判官の許可と事後通知、消去の義務
権限の行使には、事前と事後の歯止めを設けた。
調査官は実施前に、調査ができる場合に当たると考える理由、対象の端末とその理由、取得する情報の範囲、行う行為の具体的な内容と手順を書面にして、疎明資料とともに所属する警察庁や都道府県警察本部の所在地を管轄する地方裁判所か簡易裁判所の裁判官に提出し、許可を得なければならない。裁判官は求めが適切だと認めれば、対象の端末と情報の範囲、有効期間などを記した許可状を出す。
調査の途中で許可の範囲外の情報を扱った場合、それをほかの警察官などに渡してはならず、調査が終われば直ちに全て消去しなければならない。調査を終えたときは、使用者の所在が分からないなど通知が難しい場合を除き、端末を特定する事項、罪名、許可状の発付日、実施日、取得した情報を特定する事項、消去した場合はその日付を、使用者に遅滞なく通知する。通知すると被害防止の妨げになるおそれがあるときは、そのおそれがなくなった後に速やかに通知する。
調査官がとった処置は、順を追って所属の公安委員会に報告する。報告を受けた公安委員会は、許可の内容や法の規定に照らして適切に行われたかを確認し、事務の適正な実施を確保するため必要があれば、調査官が所属する警察庁や都道府県警察の長官等に、必要な措置をとるよう指示する。
条文の最後には、この調査の権限は「犯罪捜査のために認められたものと解してはならない」と明記した。刑事訴訟法に基づく捜査とは別の、被害を防ぐための行政上の権限という位置づけを、条文で念押しした形だ。施行は公布の日から6か月以内で、政令で定める日とする。
9月の提言を法案に
改正案の土台になったのは、警察庁の有識者検討会が9月24日の第5回会合でまとめた提言だ。経緯は闇バイト強盗・特殊詐欺の対策に「遠隔解析」導入を提言 警察が犯人の端末に密かにアクセスし通信アプリの中身を取り出す 裁判官の許可状と公安委員会の事後監督を条件にで伝えた。
提言の要旨は、実行役の募集や犯行の指示が秘匿性の高い通信アプリで匿名のまま行われ、暗号化のため通信事業者の協力を得ても中身の解明は難しいと指摘していた。そのうえで、端末から通信内容を迅速に把握する「遠隔解析」の早期導入を求め、警職法に行政調査の権限として規定することを提案していた。
法案と提言を並べると、提言の柱はほぼそのまま条文になった。
| 提言(要旨)の求め | 改正案の規定 |
|---|---|
| 対象は犯人同士や被害者への連絡に使われた端末に限る | 連絡に用いたと認める合理的な理由のある端末(第9条第2項) |
| 被害のおそれ、緊急性、補充性を要件に | 共謀・緊急の必要・他の方法では著しく困難(同項各号) |
| 事前の司法審査(許可状) | 地裁か簡裁の裁判官の許可(同条第3項・第4項) |
| 被害防止の警察官と解析の警察官を分ける | 長官が指名する調査官が行い、措置実施の警察官に提供(同条第1項・第7項) |
| 取得を認められない情報は全て消去 | 許可外の情報は提供禁止、終了後直ちに消去(同条第6項) |
| 事後通知と公安委員会の事後監督 | 使用者への通知、公安委員会への報告と確認・指示(同条第8項〜第10項) |
出典: 警察庁「有識者検討会提言(要旨)」、同「警察官職務執行法の一部を改正する法律案(案文)」
先行するサイバー防御の規定と並ぶ
警職法には、すでに端末への働きかけを認める規定がある。サイバー攻撃に使われるサーバーなどに警察が入り込んで被害を防ぐ「サイバー危害防止措置」を定めた第6条の2だ。参照条文によると、この措置はサイバー危害防止措置執行官が行い、あらかじめ独立機関のサイバー通信情報監理委員会の承認を得る仕組みになっている。自衛隊が同様の措置をとれるようになった経緯は自衛隊、10月1日からサイバー攻撃元のコンピューターを無害化できる 命じるのは首相で閣議決定が必要、国会の承認は不要 自衛隊法に81条の3を新設で伝えた。
今回の第9条は、同じく長官が指名する専門の警察官に担わせる点で第6条の2と似るが、事前の歯止めを委員会の承認ではなく裁判官の許可とした。対象は攻撃に使われる機械ではなく、犯人の連絡に使われる端末とその中の記録だ。提言の要旨は、秘匿性の高い通信アプリの通信内容は通信の秘密に関わり、プライバシーの保護が及ぶとしたうえで、一定の行政手続には令状主義の要請も及ぶとして、事前の司法審査を設けるよう求めていた。
改正案は附則で自衛隊法も改める。新旧対照表によると、自衛官に警職法の規定を準用する条文で、第6条の2と同様に、新しい第8条と第9条を準用の対象から外す。新たな権限は警察だけが持つことになる。
法案は今後、臨時国会で審議される。成立すれば、公布から6か月以内に施行される。
