警察庁の「匿名・流動型犯罪グループによる犯罪被害対策のための技術的措置に関する有識者検討会」は9月24日の第5回会合で、犯行グループが使うスマートフォンなどの端末に警察が密かにアクセスし、そこに記録された情報を取り出す「遠隔解析」の導入を求める提言をまとめ、警察庁に手渡した。議事次第には「進呈式」が記されている。提言は、犯罪の捜査ではなく被害を防ぐための行政の権限として、遠隔解析を警察官職務執行法に規定するよう求めている。
被害額は1日あたり約10億円
提言が出発点に置いたのは、被害の規模である。特殊詐欺の被害額は令和7年に約3257億円に達し、過去最悪となった。令和8年上半期は前年同期を上回る約1816億円で、1日あたり約10億円が奪われている計算になる。9回にわたって総額約12億円がだまし取られた事案もあった。
この3257億円は、警察庁が令和8年から呼称を整理し、従来の特殊詐欺にSNS型の投資詐欺とロマンス詐欺を含めて「特殊詐欺」と呼ぶようになった後の数字だ。令和7年の確定値でみると、従来の特殊詐欺が1423億1000万円、SNS型投資詐欺が1288億円、SNS型ロマンス詐欺が546億4000万円で、合わせて3257億円になる。増勢は今年も続いており、7月末までの暫定値は前年同期の1475億3000万円から2108億1000万円へと、42.9%増えた。
財産被害の全体像は刑法犯の財産被害4983億円、10年で3.4倍 8割が詐欺 増えた963億円のうち874億円は現金でも示されている。年度前半の推移は特殊詐欺の被害急増、3月末までに938億円 前年同期を414億円上回る SNS型投資詐欺が主因のとおりだ。
凶悪事件も相次いだ。令和6年には南関東の1都3県で、「闇バイト」の応募者を実行役とする強盗が18件、2か月以上にわたって連続して発生した。このうち1件では被害者が殺害され、12件で被害者が負傷している。令和8年2月までに55名(延べ85名)が検挙された。令和8年5月には栃木県内で高校生らを実行役とする強盗殺人事件が起き、現場の指示役と上位の指示役は秘匿性の高い通信アプリを使っていたことが判明している。
暗号化された通信アプリが捜査を止めている
提言は、対策が効かない原因を2つに絞った。1つは捜査に時間がかかること。犯行グループはホテルや車両を「架け場」(電話をかける拠点)として頻繁に移し、事件の発生から電話をかけた「かけ子」の検挙までに5〜7か月を要した例がある。その間、狙われていた人たちに手を打てなかった。実行役は「捨て駒」で、検挙しても上位の指示役や次の標的はすぐには分からず、新しい実行役が補充されて犯行が続く。
もう1つが通信アプリだ。犯行グループが使うのはエンド・トゥー・エンド暗号化(送信者の端末で暗号化し、受信者の端末で初めて元に戻す方式)の通信アプリで、途中の通信事業者のサーバーや通信経路では解読できない暗号文のままになっている。このため、事業者に情報の提供を命じる電磁的記録提供命令や、通信経路上でやり取りをそのまま捕捉する通信傍受という現行の2つの手法では、中身を解明できない。端末を押収する道も、そこまでに長期の捜査が必要なうえ、被疑者が画面ロックを解除せず、データが自動で消えていくことが多い。
犯行拠点では、被害者への連絡用スマートフォンが1か所で84台押収された例や、投資詐欺の実行犯を集めるリクルーター1人が12台を持っていた例がある。押収した端末には、狙う相手の氏名・住所・電話番号・生年月日・家族構成・学歴・所得・保有する銀行口座までを並べた「闇名簿」が表計算ファイルや画像として残されており、それが通信アプリを通じて犯人の間で共有されていた。
「遠隔解析」で何をするのか
遠隔解析は、犯人に事前に通知せず、その端末に記録されている電磁的記録を抽出して中身を確認し、被害防止に必要な情報だけを選んで取得する権限である。通信傍受のように次々と生まれるやり取りを捕捉し続けるものではなく、権限を使った時点で端末に記録されているものだけを対象とする、1回限りの措置として設計する。端末の置き場所が分からなくても、電話番号やIPアドレスなどで端末を特定できれば実施できるようにする。
要件は、刑事訴訟法の差押えを目安にした。数人の共謀による重大な犯罪の被害が発生・拡大する具体的なおそれがあること、急を要すること、他の方法では速やかに情報が得られないことを求める。対象は、犯人同士の連絡や犯人から被害者への連絡に使われた端末で、犯人が使うと合理的に認められるものに限る。取り出す情報も、襲われる人を特定する氏名・住所・自宅写真、犯行の日時、加わる実行役の人数、用意した凶器といったものに限定する。
実施の前には、裁判官の審査を受けて許可状の発付を得る。提言は、これを憲法35条が定める令状主義の要請に応えるものと位置づけた。得た情報は捜査のためではなく、狙われている人への注意喚起や警戒の強化に使う。ただし、行政の調査で得た資料を刑事手続で使うことを認めた税務調査の最高裁判例を踏まえ、刑事訴訟法などの手続を経れば刑事手続で使うことも排除されないとしている。
濫用を防ぐ4つの仕掛け
提言は、適正さを保つ措置を4つ挙げた。第1に、遠隔解析を行う警察官と被害防止の活動に当たる警察官を分け、必要な知識と能力があると認められる者を警察庁長官が指名し、その者にだけ権限を認める。第2に、技術上やむを得ず許可の範囲外の情報を扱うことになった場合は、そのすべてを消去し、他の警察官に渡らないようにする。第3に、対象となった端末の使用者へ事後に通知する。被害防止に支障がある場合と使用者が分からない場合は除き、支障がなくなった後に速やかに行う。第4に、実施した警察官は所属の公安委員会にすべて報告して確認を求め、必要があれば公安委員会が是正の措置をとれるようにする。
技術的な手法について、委員からは「端末の脆弱性を突いたり、端末の利用者を欺罔する手段を用いざるを得ない場面等があり、警察がこうした手法を用いることは認められるべきだ」との意見が出た。一方で、手法の詳細は犯人に対抗策をとられないよう情報保全を徹底すべきだとしている。個人情報を扱う部分については個人情報保護委員会との連携を求める意見も記録された。参考にしたのは英国の調査権限法と、ドイツの刑事訴訟法・バイエルン州警察法である。
検討会は東京大学大学院の川出敏裕教授、宍戸常寿教授、成瀬剛教授、立命館大学の上原哲太郎教授ら有識者9人で構成し、8月10日の初会合から9月24日までに5回開かれた。提言は遠隔解析を「早急に導入することが必要である」としているが、法案をいつ国会に出すかについては記載がない。
