政府は10月16日付の答弁書で、いわゆる「百三万円の壁」への対応が社会全体の労働供給をどれだけ動かしたかについて、「当該引上げが就業率等の変化に与えた影響について一概に評価することは困難であることに留意が必要である」と答えた。答弁書は、総務省の労働力調査による就業率が令和6年度の61.8%から令和7年度は62.3%になり、厚生労働省の毎月勤労統計調査による月間実労働時間が136.3時間から135.0時間になったと数値を挙げたうえで、控除の引上げから間もないため確認できるデータは限定的だと留保した。衆議院の緒方林太郎議員が10月5日に提出した質問主意書への回答で、内閣総理大臣の高市早苗氏の名前で衆議院議長の森英介氏に送られた。

答弁書が挙げた二つの統計

答弁書が数値を示したのは二つの統計である。一つは総務省の「労働力調査(基本集計)」による就業率で、令和6年度が61.8%、令和7年度が62.3%。もう一つは厚生労働省の「毎月勤労統計調査」による「事業所規模五人以上」の事業所における「月間実労働時間」で、令和6年度が136.3時間、令和7年度が135.0時間である。

統計 令和6年度 令和7年度
就業率(労働力調査・基本集計) 61.8% 62.3%
月間実労働時間(毎月勤労統計調査・事業所規模5人以上) 136.3時間 135.0時間
政府答弁書が示した就業率と月間実労働時間出典: 衆議院議員緒方林太郎君提出いわゆる百三万円の壁への対応の効果に関する質問に対する答弁書(内閣衆質二二二第六号)

二つは向きが逆である。働いている人の割合は上がり、働いている人1人あたりの月間の実労働時間は1.3時間短くなった。質問は「就業率、就業時間その他の社会全体における労働供給に関する統計データ」の変化を尋ねていたが、答弁書は就業者数と労働時間を掛け合わせた労働供給の総量にあたる数値は示していない。就業率と実労働時間が逆方向に動いた理由についても、答弁書は説明を加えていない。

「一概に評価することは困難」とした理由

答弁書は、数値を挙げた直後に二つの留保を並べている。一つは「就業率等は様々な要因に影響を受けるものであること」。もう一つは「当該引上げが行われて間もないため現時点で確認できる当該引上げ後の就業率等は限定的であること」である。この二つを理由に、控除の引上げが就業率などの変化に与えた影響を「一概に評価することは困難」と結論づけた。

そのうえで「いずれにしても、今後行われる調査等を踏まえて、必要な検証を行ってまいりたい」と記した。どの調査をいつ使って検証するのかは書かれておらず、検証の時期も示されていない。「様々な要因」として何を想定しているかも挙げていない。

答弁書の本文は改行を挟まない一段落で、対応として講じた法改正の内容、二つの統計の数値、二つの留保、今後の検証という順に並んでいる。法改正については「引上げが行われているところである」と現在進行の形で書かれており、対応が完了した前提では書かれていない。

控除の引上げが始まったのは令和7年分の所得税からで、令和7年度の統計は引上げ後の最初の年度にあたる。年度平均として比較できるのは、答弁書が挙げた令和6年度と令和7年度の2つしかない。さらに、答弁書が並べた二本目の法律である令和8年法律第12号による引上げは令和8年12月1日の施行で、令和7年度の統計には反映されていない。つまり答弁書の数値が映しているのは、二度の引上げのうち一度目の分だけである。

比較の対象になる統計の公表時期も限られている。毎月勤労統計調査の令和7年度分結果確報が公表されたのは令和8年5月22日で、質問が提出された10月5日の時点で使える年度の数値は令和7年度までだった。

「百三万円」は何の合計か

「百三万円の壁」の103万円は、所得税の計算で給与収入から差し引く二つの控除の合計である。国税庁の説明では、令和6年分以前の基礎控除は合計所得金額2,350万円以下で48万円、給与所得控除の最低保障額は給与収入162万5千円までで55万円だった。この48万円と55万円を足した103万円までは課税対象の所得が残らないため、給与収入が103万円を超えたところから所得税がかかり始める。

質問主意書は「いわゆる「百三万円の壁」は就業調整を行う誘因になると、政府は累次答弁してきた。そして、この壁に各種措置で対応してきた」と書いている。就業調整とは、控除の範囲に収めるために働く時間を自分で抑えることを指す。支援金の対象と水準、片山財務大臣「新たに推計が必要」 根拠は5年ごとの全国家計構造調査でも、就業調整が起きやすいとされる給与収入の節目が議論の対象になっている。

なお、社会保険料の負担が生じる年収の節目は所得税の控除とは別の制度で定まっており、答弁書が触れているのは所得税の控除だけである。

二度の法改正で控除はどこまで上がったか

答弁書は、壁への対応として「所得税法等の一部を改正する法律(令和七年法律第十三号)及び所得税法等の一部を改正する法律(令和八年法律第十二号)により、所得税の基礎控除の額及び給与所得控除の最低保障額の引上げが行われているところである」と説明した。二度の改正を並べて挙げた点が、提出時点の一覧では読み取れなかった部分である。

給与所得控除の最低保障額は、令和2年分から令和6年分までが55万円(給与収入162万5千円まで)、令和7年分が65万円(同190万円まで)、令和8年分と令和9年分が74万円(同220万円まで)と国税庁が示している。

給与所得控除の最低保障額の推移(万円)

020406080556年分まで657年分748年分
対象となる給与収入の上限も162万5千円から190万円、220万円へ上がっている出典: 国税庁「No.1410 給与所得控除」(令和8年4月1日現在法令等)
数値で見る(単位: 万円)
項目万円
6年分まで55
7年分65
8年分74

基礎控除については、所得税法第86条の額が合計所得金額2,350万円以下で58万円から62万円に引き上げられた。国税庁のQ&Aによると、令和8年度の改正は令和8年12月1日に施行され、令和8年分と令和9年分に適用される。令和8年12月に行う年末調整から改正後の額を使う。

ただし令和7年分以後は、合計所得金額に応じて基礎控除額を上積みする特例(租税特別措置法第41条の16の2)があり、所得の低い層では控除額がこれより大きくなる。Q&Aは令和8年度の改正でこの特例の加算額も引き上げられたとし、特例は居住者のみに適用されると説明している。令和8年中を通じて非居住者となる人の基礎控除額は、改正後も62万円である。

最低保障額の引上げは、本人の課税だけでなく扶養する側の計算にも及ぶ。Q&Aは、配偶者に給与所得がある場合の配偶者控除・配偶者特別控除の額、特定親族に給与所得がある場合の特定親族特別控除の額も、改正後の給与所得控除額で計算した合計所得金額に応じて記載し直す必要があるとしている。家内労働者等の事業所得等の特例で必要経費に算入する最低保障額も、65万円から69万円に引き上げられた。

質問には「常識の範囲で」という注文が付いていた

質問主意書は、本題のあとに「なお、近年、「具体的に意味するところが必ずしも明らかでない」という答弁が広く使われているが、常識の範囲で意味を確定して答弁ありたい」と書き添えていた。政府答弁で頻出する定型句を名指しで避けるよう求めたものである。

今回の答弁書は、質問文の「就業率、就業時間その他の社会全体における労働供給に関する統計データ」を「就業率等」と言い換えて定義し、具体的な統計名と数値を挙げた。「具体的に意味するところが必ずしも明らかでない」という書き方は使っていない。一方で、質問が求めた「どのような変化が生じたか」という評価そのものは留保した。

この質問主意書は、第222回臨時国会の召集日である10月5日に提出された9本のうちの1本である。第222回臨時国会の質問主意書は9本、うち8本が緒方林太郎議員 所属は2人会派の志士の会 召集日に一括提出も内閣への転送はまだで答弁期限は起算されずのとおり、9本のうち8本を緒方議員が出している。答弁書は提出から11日後の10月16日に受領された。

控除の引上げとは別に、政府は給付と税額控除を組み合わせる仕組みの導入も進めている。「給付付き税額控除」2029年度に本格導入、2027年4月から支援金で先行 閣議決定した基本方針の中身 支給額は今も「検討し定める」で示された基本方針では、2027年4月から支援金が先行し、本格導入は2029年度とされている。答弁書が挙げた二つの統計は、こうした施策の効果を測る土台にもなる数値だが、政府は現時点では評価を示さず、検証を先送りした。