スウェーデン王立科学アカデミーは10月7日、2026年のノーベル化学賞を、東京理科大学の硤合憲三(そあい・けんそう)名誉教授と、当時のパリ・シュド大学(フランス)のアンリ・B・カガン名誉教授の2氏に授与すると発表した。受賞理由は「不斉有機合成における非線形効果と自己触媒反応の発見」。東京理科大学は8日、硤合氏に「栄誉教授」の称号を授与すると決めたと発表した。賞金は1200万スウェーデンクローナで、2氏が等分する。
生命はなぜ「片方の手」だけでできているのか
アミノ酸のような分子には、右手と左手のように重ね合わせることのできない2種類の鏡像が存在する。ところが、生物の細胞のたんぱく質に含まれるアミノ酸は、そのうちの片方だけである。もう一方は自然界にほとんど見あたらない。王立科学アカデミーの解説資料は、この性質を「同じ」と「手」を意味するギリシャ語に由来する「ホモキラリティー」と呼び、それがどのように生じたのかが長く化学の謎だったと説明する。実験室で2種類の鏡像ができる反応を試すと、試験管の中にはいつも両方が等しい割合で得られてしまっていた。
片方だけを選んでつくる技術は、学問上の関心にとどまらない。解説資料は、その重要性を世に示した出来事として1960年代初めのサリドマイド薬害を挙げる。鎮静剤サリドマイドにより多数の子どもに先天障害が生じ、原因を調べた研究者は、害を及ぼしていたのが有効成分の鏡像の側だったことに気づいた。医薬品のように生体に働きかける分子では、狙った効果を持つのは2つの鏡像のうち片方だけである。それだけを取り出せるかどうかが、安全性と直結する。
1986年のカガン氏の発見から、2003年の硤合氏の到達へ
カガン氏は1980年代初め、できるだけ純度の高い鏡像をつくる反応の改良に取り組んでいた研究者の一人だった。当時の不斉反応では、反応を動かす金属原子と、反応を非対称にする鏡像の性質を持つ物質を組み合わせた触媒が使われていた。研究者たちは、触媒に含まれる鏡像の割合がそのまま生成物の割合に移ると考えていた。カガン氏はこの前提を疑い、金属原子が反応中に複数の分子を同時に引き寄せているはずだと考えた。触媒には右と右、右と左、左と左の3つの形があり、うまく働くのは一部だけだと見抜いた結果、生成物に生じる偏りが触媒の偏りより大きくなることを見いだした。1986年、カガン氏は3種類の不斉反応でこの「非線形効果」を記述した。
この現象に取り組んだ研究者の一人が、東京理科大学の硤合氏だった。硤合氏は触媒と生成物の構造がよく似ていることに気づき、触媒が自分自身をつくり出す「自己触媒」の反応を設計できないかと考えた。1990年代初めに知られていた自己触媒反応に、鏡像を選ぶものは一つもなかった。多くの分子を試した末に、硤合氏は自分自身を生み出す「5-ピリミジルアルカノール」を見つける。1995年の論文では、一方の鏡像が2%多い状態から反応を始め、最後には87%多い状態に達したことを報告した。さらに8年を費やし、2003年には、鏡像の性質を持たない分子の組み合わせから片方の鏡像だけを生み出すことに成功した。解説資料は、生命の誕生以来、これを成し得た者はいなかったと記している。この反応は「硤合反応(the Soai reaction)」として世界の研究者に引用されている。
ノーベル化学賞委員会のハイナー・リンケ委員長は発表資料で「カガン氏と硤合氏は、1世紀を超える化学の謎、すなわちホモキラリティーがどのように自然に生じうるのかに解答を与えた。彼らが開発した化学反応は見事なものだ」と述べた。
政府は「21世紀以降は米国に次ぐ2位」と強調
高市早苗首相は発表当日の7日夜、総理大臣官邸から硤合氏に祝意の電話をかけた。同日付の内閣総理大臣コメントでは「我が国の研究者の独創的な発想による真理の発見が、人類社会の持続的な発展に大きく貢献し、世界から認められたことを誇りに思います」として、独創的で多様な研究への支援と人材育成に取り組むとした。
尾﨑正直官房副長官は8日午前の記者会見の冒頭発言で、受賞を「大変喜ばしく思います」と述べ、自然科学分野で2年連続の受賞になったことは「我が国が高い研究水準を有することを改めて世界に示すもの」と評価した。受賞理由については、ごく僅かな分子の偏りが大きな偏りへと誘導されていく現象を発見した功績だと説明し、「生命の起源という人類共通の謎の解明にもつながる画期的なもの」と位置づけた。そのうえで、今回の受賞により日本のノーベル賞受賞者は31名と1団体になり、21世紀以降の自然科学系3分野の受賞者数は22名で米国に次ぐ2位になると述べた。政府として、優秀な研究者が研究に打ち込める環境の整備や若手研究者の育成確保に引き続き取り組むとしている。
東京理科大学は36年の在職をたたえ「栄誉教授」
東京理科大学は8日、硤合氏に栄誉教授の称号を授与すると発表した。同大の説明では、栄誉教授は教育研究の分野で特に顕著な業績を挙げ、社会に優れた貢献をした者のうち、引き続き大学の発展への貢献が期待される者に授与されるものだという。同大は、硤合氏が世界に先駆けて不斉自己触媒反応を実現し、その成果がネイチャーやサイエンスなどの学術誌に掲載されたことや、長年にわたり学生と若手教員を指導してきたことを挙げ、36年間にわたる大学の教育・研究の発展への貢献をたたえるものだと説明した。
硤合氏は1950年に広島県で生まれ、1979年に東京大学大学院理学研究科の博士課程を修了した。米ノースカロライナ大学の博士研究員を経て1981年に東京理科大学理学部第一部の講師となり、1991年に教授、2007年には同大の「キラルマテリアル研究センター」のセンター長に就いた。2017年に名誉教授となっている。
同大によると、硤合氏は7日に神楽坂キャンパスで記者会見し、「アンリ・カガン先生と一緒に受賞できるということがとても嬉しい」と述べ、有機合成化学に興味を持ってもらうきっかけになるのではないかとコメントした。日本の有機合成化学について「研究土壌としては非常にレベルが高いことがそろっておりますので、そういう中で研究の成果を出すことができた。完全にまだ解明したわけじゃなくて、まだまだ分からない。面白いことがあるはず」と語り、今後も分野の研究が進むよう尽力したいとした。受賞の喜びとあわせて「学生の存在があって到達できた」と感謝も表明した。
