NHK交響楽団(N響)の桂冠名誉指揮者を務めた指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット氏が11月4日、スウェーデン南西部ヨーテボリの自宅で亡くなった。99歳だった。ドイツの所属事務所キュンストラーゼクレタリアート・アム・ガスタイクが同日、公式サイトで発表した。家族に見守られ、穏やかに息を引き取ったという。死因は公表されていない。
100歳でも指揮を続ける意欲、直近の公演は取りやめ
事務所の発表によると、ブロムシュテット氏は100歳の誕生日まで、さらにその先も指揮を続けたいと繰り返し語っていた。音楽への愛情と、それを聴衆と分かち合いたいという思いは衰えなかった。しかし健康上の制約が増えて指揮ができなくなり、直近の数か月は出演の予定を取りやめていた。100歳の誕生日となるはずだった2027年7月11日まで、約8か月を残しての死去だった。
事務所は同氏を「現代で最も傑出した指揮者の一人」と評した。作曲家の意図への敬意、楽譜の知識、音楽性、規律と謙虚さによって音楽界の評価を得たとし、最大の関心は常に音楽に仕えることだったと記している。その生涯と行動は一貫してセブンスデー・アドベンチストの信仰に貫かれていたともいう。世界文化賞の略歴は、信仰に基づいて禁酒と禁煙を守ったと記す。約40年にわたって同氏のマネジメントを担当した事務所の名誉役員ロータル・シャッケ氏は「彼との出会いはいつも贈り物だった」との談話を寄せた。
米国に生まれスウェーデンで育ち、1954年にデビュー
ブロムシュテット氏は1927年7月11日、スウェーデン人の両親のもとに米マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれた。2歳のときに両親の祖国スウェーデンへ移り、少年期にはフィンランドでも暮らした。ストックホルムの王立音楽院とウプサラ大学で学び、米国ではレナード・バーンスタインに指揮を学んだ。タングルウッドではクーセヴィツキー指揮賞を受けている。さらにイーゴリ・マルケヴィチに師事し、ドイツのダルムシュタットで現代音楽を、スイスのバーゼルでルネサンス・バロック音楽を学んだ。
指揮者としてのデビューは1954年、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団だった。プログラムの冒頭にバッハの管弦楽組曲第2番を置いたのは、当時としては珍しかったと事務所の経歴は記す。その後はスウェーデンのノールショーピング交響楽団、ノルウェーのオスロ・フィルハーモニー管弦楽団を経て、デンマーク放送交響楽団とスウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を務めた。
レパートリーの中心はベートーベン、ブラームス、ブルックナーのドイツ・オーストリアの交響曲で、とりわけブルックナーには生涯を通じて取り組んだ。一方でニールセン、シベリウス、ベルワルドといった北欧の作曲家の紹介にも力を注いだ。
ドレスデン、サンフランシスコ、ライプツィヒで楽団を率いる
国際的な名声を高めたのは、1975年に首席指揮者に就いたシュターツカペレ・ドレスデンだった。当時の東ドイツの楽団で10年間務め、ベートーベンとシューベルトの交響曲全集を録音した。
1984年2月に客演で初めて指揮したサンフランシスコ交響楽団は、その1か月後に同氏を音楽監督に選び、1985年に就任した。同響は追悼文で、在任の10年で地方の楽団から国際的な存在へ変わったと振り返っている。デッカに録音したニールセンとシベリウスの交響曲全集は、同響によると今も規範とされている。世界文化賞の略歴によると、この時期の録音で米グラミー賞を複数回受けた。退任後も桂冠指揮者として毎年指揮台に戻った。
1998年には、クルト・マズア氏の後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第19代カペルマイスター(音楽監督)に就いた。ゲヴァントハウス管によると、楽器の配置をドイツ式に戻し、レパートリーを広げ、メンデルスゾーン音楽祭を創設した。2005年の退任後も名誉指揮者として関係は続き、90歳の年には楽団の創立275年を記念する4週間の欧州・アジア公演を率いた。
| 期間 | 楽団 | 役職 |
|---|---|---|
| 1975〜85年 | シュターツカペレ・ドレスデン | 首席指揮者 |
| 1985〜95年 | サンフランシスコ交響楽団 | 音楽監督 |
| 1995年から | 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) | 首席指揮者 |
| 1998〜2005年 | ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 | 第19代カペルマイスター(音楽監督) |
| 1986〜2016年 | NHK交響楽団 | 名誉指揮者 |
| 2016年から | NHK交響楽団 | 桂冠名誉指揮者 |
N響と45年、世界文化賞は代理で受賞
日本との関わりは深い。世界文化賞の略歴によると、N響との初共演は1981年で、45年にわたって関係が続いた。N響の公式サイトは、1986年1月から名誉指揮者、2016年12月から桂冠名誉指揮者と記載している。2014年には東日本大震災の復興支援として、N響の定期公演をチャリティーコンサートとして指揮した。2018年の春の叙勲では、日本の音楽文化の向上と発展に寄与したとして旭日中綬章を受けた。ドイツからも2022年に連邦共和国功労勲章大功労十字星章を受け、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は2019年に名誉団員の称号を贈っている。
2026年には、第37回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門の受賞者となった。世界文化賞は日本美術協会が設立100年を記念して創設した賞で、絵画、彫刻、建築、音楽、演劇・映像の5部門の受賞者に感謝状、メダル、賞金1500万円を贈る。同じ回の演劇・映像部門は、俳優のケイト・ブランシェット氏が受賞した(ケイト・ブランシェット、東京国際映画祭に初参加 難民監督5人の短編を日本初上映 1人に10万ユーロを助成)。
世界文化賞は10月14日の告知で、同氏が健康上の理由で10月27日の合同記者会見と28日の授賞式を欠席すると伝えた。同氏はコメントで「日本、そしてNHK交響楽団は、私の音楽家としてのキャリアにおいて、とても大きな役割を果たしており、とりわけ光栄に感じております」と述べ、「日本への旅は長く、身体的にも大きな負担を伴う」と来日できない事情を説明した。28日に東京・元赤坂の明治記念館で開かれた授賞式では、スウェーデン王立音楽アカデミー会長のステーファン・フォルシュベリ氏が代理で常陸宮妃殿下から顕彰メダルを受け取った。その7日後の死去だった。事務所によると、同氏は受賞に際して最後のインタビューに応じ、繰り返し指揮したい1曲にバッハの「ミサ曲ロ短調」を挙げた。
各地の楽団が追悼、100歳の記念公演も予定されていた
ゲヴァントハウス管は4日、「現代で最も重要な指揮者の一人」を失ったとする追悼文を公表した。アンドリス・ネルソンス氏が指揮する11月5、6、8日の定期公演を同氏の追悼にささげ、6日からは本拠地ゲヴァントハウスの主ホワイエに弔問の記帳簿を置く。追悼文は、同氏が語った言葉として「音楽が語るべきだ。私の務めは、音楽にできるだけ多くを語らせ、私はできるだけ語らないことだ」を引いた。楽団の代表ベルンハルト・クルーク氏は、後に何を残したいかと問われて同氏が「友人たち」と一言で答えたと回想している。
サンフランシスコ交響楽団も、エリム・チャン氏が指揮する2027年1月14〜16日の公演を同氏にささげると発表した。
ゲヴァントハウス管の公式サイトには、100歳の誕生日を祝う特集として、同氏の指揮で2027年4月の公演と、7月9日のブルックナーの交響曲第5番の特別公演が掲載されている。これらの公演の扱いは、今回確認した発表には書かれていない。N響の公式サイトのニュース欄には、5日朝の時点で追悼の発表は載っていない。
