刑法175条のわいせつ物頒布罪をめぐり、罪に問われる前に国から適法か違法かの判断を引き出す手続きを考案し、代理人を付けずに国を相手取って争ってきた研究者のあしやまひろこ氏が、9月15日に亡くなった。本人の公式X(旧ツイッター)で9月28日、遺族が「【ご報告】あしやまひろこは、9/15に亡くなりました」と公表した。死因は明らかにしていない。同氏は死去の6日前の9月9日に、最高裁への上告理由書と上告受理申立て理由書を提出していた。

公証役場で「違法かどうか」を国に判定させた

同氏が使ったのは、公証人に私文書の内容を確認させる仕組みである。公証人法3条は「公証人ハ正当ノ理由アルニ非サレハ嘱託ヲ拒ムコトヲ得ス」と定め、同26条は法令違反や無効な行為について公正証書を作れないとしている。つまり公証人は、持ち込まれた文書が明らかに違法・無効でない限り断れない。逆に断れば、国が「これは違法だ」と判断したことになる。

同氏は2024年3月27日、埼玉県の川口公証役場に4種類の契約書を提出した。わいせつ写真とイラストを、①相手を限らずに渡す契約と、②相手にわいせつであることを事前に伝えて了承を得た場合に限って渡す契約である。狙いは②だった。わいせつかどうかを争うのではなく、見たいと言った人にだけ渡すなら表現の自由と知る権利が優先すると主張した。

公証役場は2024年4月3日、相手の了承があっても図版のわいせつ性は減らないとして、全体として公序良俗に反すると判断し、認証を拒んだ。根拠は刑法ではなく、民法90条の「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」という条文だった。

同氏はさいたま地方法務局長、次いで法務大臣へ異議を申し立てた。同年12月24日、法務大臣名の決定が出たが、内容は法務局長の決定とまったく同じで、「違法無効が明らかか否かは公証人に裁量がある」というものだった。なぜ公序良俗に反するのかの理由は示されなかった。

地裁も高裁も退け、8月に上告

同氏は2025年1月8日、さいたま地裁に提訴した。法務大臣の決定の取り消し、公証を行う義務付け、国家賠償を求める行政訴訟で、事件名は「猥褻図版頒布等公証請求事件」(令和7年(行ウ)第1号)。訴額は契約書2通分と国家賠償100円をあわせた320万100円と算定され、印紙代は2万2000円だった。

口頭弁論は2025年3月19日、5月28日、8月20日の3回で終結した。判決期日は当初11月19日と指定されたが12月24日に延期され、同氏は全面敗訴した。自身が公開した判決文によると、地裁は、転々流通した場合に図画を入手した者すべてに配布範囲の限定を守らせることは難しいという理由で違法無効と判断した。同氏はサイトで、それは処方薬や酒、たばこも同じであり、責任を負うべきは二次配布者だと反論している。

控訴審は東京高裁第8民事部(令和8年(行コ)第31号)で審理され、2026年5月28日に口頭弁論が開かれた。同年8月20日の判決は、地裁の転々流通論を削除した一方、わいせつ物は公序良俗に触れるものであり、相手を限る条件を付けてもわいせつ性そのものは消えないとして、認証拒否は裁量の範囲内と判示した。同氏は8月26日に上告状兼上告受理申立書、9月9日に上告理由書を提出している。

「捕まらずに」司法判断を得る道筋を示した

刑法175条は、わいせつな文書や図画などを頒布し、または公然と陳列した者を2年以下の拘禁刑もしくは250万円以下の罰金または科料に処すと定めるが、何がわいせつかは条文に書かれていない。境目は判例の積み重ねと捜査機関の運用で決まってきた。そのため、作品を出す側は摘発されるまで適法かどうかを確かめられない構造にあった。表現を直接制限する刑罰規定をどう線引きするかは、「国旗損壊罪」法案、衆院を通過 参院での審議が焦点 全野党が欠席の異例採決 抗議に国旗を壊す必要はあるのかのように、条文の文言と運用の幅が同時に問われる論点でもある。

同氏の手続きは、この構造に正面から穴を開けた。事件を起こさずに国の判断を得て、その判断が不当なら行政訴訟で司法の審査に持ち込む。本人はこれを「実質的に抽象的違憲審査制を見つけたことになります」と書いている。日本の裁判所は具体的な事件がなければ法令の憲法適合性を判断しないため、この点が最も大きな発見だったと位置づけていた。

同じ手法で先に成果も出ている。同氏は弁護士法の非弁行為に事件性が必要かを問う文書の認証を得ており、これは公的機関が準司法的な判断を示したものだと説明している。

訴訟資料を全て公開し、傍聴人も集まった

同氏は訴状、証拠説明書、準備書面、国側の答弁書、判決文をその都度サイトに掲載し、カンパを募って印紙代や郵送費に充ててきた。口頭弁論の傍聴人は第1回が2人、第2回が10人、控訴審判決前の口頭弁論では17人ほどに増えている。訴訟記録の閲覧に行った支持者の報告も掲載されていた。

プロフィールによると、同氏は女装者で、身体と装いと女装の研究者を名乗り、テクノコスプレ研究会を主宰した。同人誌『女装と思想』を発行し、筑波大学のミスコンテスト「TSUKUBAN BEAUTY 2011」でグランプリを受けている。

遺族は公表に際し、「皆様から生前に受けたご厚情には深く感謝し、心より御礼申し上げます」とし、同氏が請け負っていた仕事について連絡先を案内した。最高裁に係属した上告の今後の扱いについて、遺族や同氏のサイトからの発表は9月28日時点で確認できていない。