住民全員が地震の発生から10分で避難を始めれば、南海トラフ地震の津波による死者は約21万5000人から約7万3000人に減る——。内閣府が令和8年6月30日に公表した令和8年版防災白書は、特集「国難級の地震・津波」で、被害想定の数字を並べるだけでなく、個人でも取り組める対策がどれだけ被害を減らすかを四つの試算で示した。
四つの対策で、被害は5割から7割減る
白書が示した軽減効果は、揺れ・津波・火災それぞれの主な対策について、現状のまま地震が起きた場合と、対策をやり切った場合を並べたものだ。
津波による死者は、早期避難の意識が低い場合の約21万5000人に対し、全員が発災後10分で避難を開始した場合は約7万3000人となる。堤防と水門が揺れに対して正常に機能し、現在指定されている津波避難ビルなどを使った場合の数字である。
揺れによる建物の全壊棟数は、住宅の耐震化率が現状の90%なら約127万9000棟、100%なら約35万9000棟。家具などの転倒・落下や屋内の収容物の移動による死者は、転倒防止の実施率が現状の約35.9%なら約5300人、100%なら約1800人にとどまる。火災による焼失棟数は、推進地域内の感震ブレーカー設置率が現状の約8.5%なら約76万7000棟、100%なら約35万8000棟となる。
四つのうち三つで被害は7割減り、火災でも半減する計算だ。いずれも国が新たに何かを建設する対策ではなく、住宅の耐震改修、家具の固定、避難の開始、分電盤への器具の取り付けという、世帯ごとに完結する対策である。
なかでも隔たりが大きいのが感震ブレーカーだ。設定以上の揺れを感知すると電気を自動で止める器具で、地震火災の過半数は電気が原因 揺れを感知して電気を止める「感震ブレーカー」、首都圏の設置は約2割にとどまるのとおり、普及は進んでいない。南海トラフ地震の推進地域内では設置率が約8.5%と、10軒に1軒に満たない。
死者の想定は下がり、資産の被害は55兆円増えた
被害想定そのものは、中央防災会議の南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループが令和7年3月31日にまとめた報告書で見直されている。最新の知見を踏まえて推計手法と地形データを改め、建物の耐震化が進んだ現状を織り込んだ結果だ。
死者数は最大で約29万8000人。平成26年3月の基本計画のときの約33万2000人から約3万4000人下がった。内訳は津波が約21万5000人、建物の倒壊が約7万3000人、地震火災が約9000人で、7割近くを津波が占める。全壊焼失棟数も約250万4000棟から約235万棟に減った。住宅の耐震化率が平成20年の約79%から令和5年に約90%へ、海岸堤防の整備率が平成26年の約39%から令和3年に約65%へ上がったことが効いている。
ただし、下がったのは人と建物の被害だけだ。資産等の被害は約169兆5000億円から約224兆9000億円へ55兆4000億円増え、避難者数は最大約950万人から約1230万人に、停電軒数は最大約2710万軒から約2950万軒に増えた。通信の不通回線数も最大約930万回線から約1310万回線へと膨らんでいる。物価や地価が上がり、電気と通信に依存する暮らしが広がったことが、同じ揺れでも被害額と生活への影響を押し上げている。
死者数とは別に、避難生活の中で亡くなる災害関連死が最大約2万6000人から5万2000人と推計されたのも今回が初めてだ。東日本大震災の岩手・宮城両県と能登半島地震の実績から割り出した。白書は、被害が超広域に及ぶため外部からの応援が届きにくく、関連死がさらに増える恐れがあるとしている。
震度6弱以上の揺れか3メートル以上の津波が想定される市町村は31都府県の764市町村にのぼり、面積で全国の約3割、人口で約5割を占める。昭和19年の昭和東南海地震、昭和21年の昭和南海地震からは約80年が経った。
国の目標は「死者8割減」 計画は令和7年7月に変更
政府は令和7年7月、中央防災会議で「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」の変更を決めた。今後10年間の減災目標として、想定死者数約29万8000人をおおむね8割減らし、想定される建築物の全壊焼失棟数約235万棟をおおむね5割減らすことを掲げている。
具体目標には期限つきの数値が並ぶ。推進地域の市町村にある住宅のうち耐震性が確保されているものの割合は、令和5年の90%から、令和17年までに耐震性が不十分な住宅をおおむね解消する。最大クラスの津波に対応したハザードマップを作って公表し、避難訓練まで実施した市区町村の割合は、令和6年の0%から令和12年に100%とする。道路啓開訓練の実施率は令和6年の0%から令和8年に100%、避難所に必要なトイレやベッドを備蓄している市区町村の割合は令和6年の0%から令和12年に100%を目指す。
災害対応の司令塔となる組織づくりも進む。「防災庁」今国会で成立の見通し 災害対応の司令塔、11月にも発足へで伝えたとおり、政府は防災庁の設置を決めており、白書も令和8年度の計画の章を1つ割いて設置・運営の取組を記した。
もっとも、白書が示した四つの試算が意味するのは、司令塔ができても被害の大部分を左右するのは個々の住宅と個々人の避難だということである。耐震改修には費用がかかるが、家具を壁に固定する、避難場所と経路を家族で決めておく、感震ブレーカーを取り付けるといった対策は、費用も手間も比較的小さい。白書は「自らの命は自らが守る」という意識のもとで、住宅の耐震化や家庭での備蓄、迅速な避難に取り組むよう求めている。
