全国の宿泊施設の72.2%が人手不足の状況にある——。観光庁が令和8年7月にまとめた令和8年版観光白書が、こうしたアンケート結果を示した。白書はテーマ章に「『働いてよし』の観光産業の実現に向けて」を掲げ、宿泊業の人材確保と生産性の向上を正面から論じた。訪日外国人の数も消費額も過去最高を更新するなか、受け入れる側の宿泊業では賃金も生産性も設備投資も全産業を下回る状態が続いている。

観光白書は、観光立国推進基本法第8条に基づき、政府が毎年国会に提出している報告書である。第Ⅰ部で観光の動向を分析し、第Ⅱ部と第Ⅲ部で前年度に講じた施策と当年度に講じようとする施策を示す。第Ⅰ部の最終章にあたるテーマ章は年ごとに設定され、令和8年版は宿泊業の労働問題を選んだ。

中規模の施設ほど不足感が強い

アンケートは2025年12月から2026年1月にかけて、全国の宿泊施設を対象に観光庁が実施した。有効回答は522施設で、このうち72.2%が「人手不足の状況にある」と答えた。

年間売上高による規模別では、1億円以上10億円未満の中規模施設が77.1%と最も高く、10億円以上の大規模施設が69.9%、1億円未満の小規模施設が66.0%と続いた。規模別の集計対象は、売上高の設問に回答した516施設である。売上規模が最も大きい層より、その一つ下の層で不足感が強い形になっている。

人手不足が実際に何を引き起こしているかも聞いた。回答した377施設のうち79.3%が「特定の時期・時間帯(繁忙期)に人員が不足し、既存従業員の負担が増加している」を挙げた。50.4%は「追加人員を採用するためにコストや時間がかかる」、40.6%は「サービスを一部縮小せざるを得なくなっている」と答え、21.5%は「事業を拡大したい(稼働率を上げたい)が人員不足により断念している」と回答した。人が足りないことが、今いる従業員の負担増にとどまらず、売り上げを伸ばす機会そのものを手放す段階にまで及んでいる。

人手不足感の強さは宿泊業に限った話ではない。白書は日本銀行の全国企業短期経済観測調査(短観)の雇用人員判断D.I.も引き、宿泊業・飲食サービス業で人手不足を感じている企業の割合が高いと指摘した。このD.I.は「過剰」と答えた企業の割合から「不足」と答えた割合を引いた数値で、マイナスが大きいほど不足感が強いことを示す。企業全体の傾向は大企業の景況感、2期ぶりに改善 人手不足で「業務負担・勤務時間の増加」が62.8% 中小は6社に1社が事業の縮小・撤退でも確認できるが、白書は宿泊業・飲食サービス業の水準が他業種より一段と低いことを示した。

賃金は133万円低く、生産性は全産業の72%

白書は、宿泊業が人を集めにくい背景として賃金と生産性の水準を挙げた。

厚生労働省の賃金構造基本統計調査をもとにした年間賃金総支給額は、2025年で全産業が546万円だったのに対し、宿泊業は413万円、飲食店は411万円だった。宿泊業と全産業の差は133万円にのぼる。2020年は全産業487万円・宿泊業362万円で差は125万円だったため、この5年で差はむしろ広がっている。ここでいう賃金は、パートタイム労働者を除く一般労働者について、毎月きまって支給する現金給与額の12か月分に年間賞与その他特別給与額を加えたものである。

従業員1人当たりの付加価値額でみた労働生産性も低い。財務省の法人企業統計調査によると、2024年度は全産業が817万円だったのに対し、宿泊業は587万円で、全産業の72%だった。コロナ禍で旅行需要が消えた2020年度には35%まで落ち込んだが、その後は回復し、2015〜2018年度の66〜73%という水準に戻っている。裏を返せば、需要が戻っても宿泊業と全産業の生産性の差そのものは縮んでいない。

差を生む要因として、白書は人への投資とモノへの投資の両方の少なさを指摘した。厚生労働省の能力開発基本調査(令和6年度)では、通常の業務を離れて行う研修であるOFF-JTを実施していない企業の割合が、産業計の26.1%に対し宿泊業は50.3%。計画書を作って段階的に実施する計画的なOJTを実施していない割合も、産業計35.1%に対し宿泊業は52.2%だった。従業員1人当たりの設備投資額(ソフトウェアを除く)も、2024年度は全産業124万円に対し宿泊業75万円にとどまる。

増益の決め手は「料金単価の引き上げ」

もっとも、収益が改善した施設もある。純利益がコロナ禍前より増加した123施設にその要因を聞くと、最も多かったのは「料金単価の引き上げ」で81.2%だった。「インバウンド客の増加」が49.5%、「国内旅行者の増加」が41.2%、「高付加価値化を目的とした設備投資」が32.3%と続いた。客数の増加より、1人あたりから受け取る金額を上げたことが増益の中心にある。

白書は取り組み事例も示した。愛知県蒲郡市のホテル末広は、財務データと曜日別の稼働率を分析したうえで火曜から木曜までの週3日を固定休館日とし、客室の改装や食事メニューの見直しによる高付加価値化と、従業員のマルチタスク化を組み合わせた。営業日を減らしたため売上高は3分の2程度に減ったが、利益率は15%増加し、若手人材が安定的に入社するようになったという。熊本県南小国町の黒川温泉観光旅館協同組合は、入湯手形の発行による自主財源で合同入社式や若手リーダー育成研修「黒川塾」を運営し、卒業生は6期で累計63人に達した。奈良県ビジターズビューローは、奈良県内の宿泊施設と北海道・福井県の施設との間で、繁忙期と閑散期のずれを生かして従業員を数か月間出向させる人材シェアリングの実証事業を行った。

白書は、人手不足を解決するには有形・無形の投資と人材育成によって収益性と生産性を高め、繁忙期と閑散期の差への対応力を強めたうえで、その成果を賃金や待遇の改善につなげることが重要だとまとめた。

訪日客は過去最高、受け入れ側は追いつかず

需要側の数字は好調である。2025年の訪日外国人旅行者数は4268万人で前年比15.8%増、旅行消費額は9兆4549億円で同16.4%増と、いずれも過去最高を更新した。訪日客数が初めて4000万人を超えた経緯は2025年の訪日客、初の4000万人突破 過去最高の4268万人 政府は2030年に6000万人目標で伝えている。世界全体でも、世界観光機関(UN Tourism)によると2025年の国際観光客数は15億2300万人(前年比4.0%増)で過去最高だった。2024年の外国人旅行者受入数ランキングで、日本は3690万人で世界9位、アジアでは1位である。

政府は第5次観光立国推進基本計画で、2030年にインバウンド数6000万人、消費額15兆円という目標を掲げている。2025年の実績を基準にすると、人数で約1.4倍、消費額で約1.6倍に増やす計算になる。宿泊業の人手不足と生産性は、この目標を支える土台にあたる。白書が宿泊業の労働問題をテーマ章に選んだのは、需要を増やす施策と、それを受け止める現場の体力とを切り離せなくなっているためだ。

人口が減るなかで働き手をどう確保するかという課題は、宿泊業だけのものではない。中小企業の雇用者数、2040年に2018年比で最大16%減 2026年版中小企業白書が推計 「現状維持は最大のリスク」が示すように、中小企業全体でも同じ制約が見込まれている。宿泊業はそのなかでも、需要の伸びと現場の人手の差が数字にはっきり表れている業種といえる。